アーカイブスの『河川書誌考』〔6〕 ダムの文学
・1.ダム建設の歴史・
現在、日本のダム(堤高15m以上)は、約2700基が築造されている。その用
途は江戸期まではかんがい用水、明治期以降は水道用水、水力発電用水、工業
用水が加わり、さらに、これらの用途に治水目的を含めた多目的ダムが建設さ
れるようになった。
日本のダム建設史について概観してみたい。
弥生時代から江戸期まで、 162年日本最古のダムといわれる蛙股池(奈良県
・淀川)、 703年満濃池(香川県・金倉川)、 708年住吉池(鹿児島県・別府
川)など約40基の築造がみられる。江戸期には1663年入鹿池(愛知県・五条川
)、1678年五桂池(三重県・櫛田川)、1710年駕与丁池(福岡県・多々良川)
など稲作新田開発に伴うかんがい用アース式ダム約 540基が 265年間で造られ
た。
明治期〜大正期では、1891年初の給水用アースダム本河内高部貯水池(長崎
県・中島川)、1900年初の重力式コンクリートダム布引ダム(兵庫県・生田川
)、1911年初の水力発電用の黒部ダム(栃木県・鬼怒川)など56年間に約 400
基が造られ、これらのダムは明治新政府の西欧文明を熱心に取り入れた結果で
ある。
昭和初期は戦争の時代でもあり、1929年小牧ダム(富山県・庄川)、1938年
灰塚ダム(宮崎県・耳川)、1943年雨竜ダム(北海道・石狩川)など20年間で
約 410基が造られ、食糧用、産業用、軍事用に係わるかんがい用水と水力発電
のダムがほとんどを占めた。
昭和中期(1946年〜1975年)は、戦後の復興、続いて高度経済成長時代が始
まり、1956年佐久間ダム(愛知県・静岡県・天竜川)、1960年田子倉ダム(福
島県・只見川)、1964年黒部ダム(富山県・黒部川)、1967年矢木沢ダム(群
馬県・利根川)、1973年下筌ダム・松原ダム(熊本県・大分県・筑後川)など
アメリカのダム機械資材導入もあり、ハイダムが完成した。その後も河川総合
開発に伴う水資源開発の一環として、1977年早明浦ダム(高知県・吉野川)、
1979年高瀬ダム(長野県・高瀬川)、2000年宮ケ瀬ダム(神奈川県・中津川)
などが竣工し、それぞれ、治水、利水の役割を荷なっている。
しかしながら、このようなダム建設に拠って、河川生態系への影響や、ダム
堆砂による海岸浸食などが生じ、河川環境の悪化を招いている。長野県知事の
脱ダム宣言、アメリカにおけるダム撤去の論争がおこり、今日ではダム建設の
是非が大きく問われている。
・2.ダム小説の分類・
日本には約2700基のダムが築造されてきたが、これらのダム建設にめぐって
、必ずや利害関係者の衝突が起こってくる。それは、造られる側と造る側との
葛藤や確執であり、さらにダム建設地点における都道府県市町村の行政側の苦
渋も尽きない。このような紛争が大きければ大きいほど社会的に反響を呼ぶ。
ここに著名な作家たちが、ダムをテーマとして過酷な自然環境を捉えながらダ
ム建設に挑む人たち、挑まれる人たちと、家族をもふくめてその人間像を描き
出す。
このダムの小説について、次の5つのテーマに分類できよう。
・ダムの水没者の苦悩と心情を描いた作品
・ダム建設に挑む技術者たちの人間性を追求した作品
・ダム建設に真正面から対峙した作品
・ダム建設を政治的、社会的に批判した作品
・ダムそのものがテーマでなく、ダム技術者と女性との愛を描いた作品
・3.ダム水没者の苦悩・
多摩川上流の小河内ダムを舞台とした石川達三の『・日蔭の村・』(新潮社
・昭和12年)は、ダム問題の原点を浮きぼりとする最初の本格的な小説である
。
ダムに水没する側の小河内村長、村民らの心情とダムを造る側の東京水道局
長らの行動を追う。午後3時ともなると山深い小河内村一帯は日蔭となり、ダ
ムによって過疎化が進むこととなる。さらに日中戦争の時代背景が影を落とす
。
一方大都市東京はダムによって益々栄えていくことになり、陽のあたる東京
の発展を象徴している。農山村と大都市の相剋を写し出すが、今後もこのよう
なダム造りが展開されてくる。
城山三郎の『・黄金峡・』(中央公論社・昭和35年)は、田子倉ダムの補償
問題を捉えているようだ。現場にて徹底的な取材に拠る作品である。
水没者喜平次老人とダム所長織元との交渉を中心に純朴な村民たちがダム絶
対反対と言いながらも、逆に補償金の期待への奇妙な錯綜する心理状態と、補
償契約後は次第に華美な生活へと変化していく、その人間の生きざまを描く。
同様に、田子倉ダムを舞台とした小山いと子の『・ダム・サイト・』(光書
房・昭和34年)は、先祖代々ゼンマイト採りなどで暮らす山村がダム開発によ
って一変する様子を捉えている。
城山三郎は、『・黄金峡・』のあとがきで「主題のひとつは、金銭というも
のが、いかに人間を動かし、人を変えていくか、というところにある。(逆に
金銭に動じない人間の魅力もある)……だが金銭による充足にはとどめがない
。それまでも考えもしなかった欲望が次から次へとふくらみ、足元をすくう。
」と述べている。
日本が高度成長へ向かっていくとき、この小説はこれからの日本人が金銭至
上主義へ進むことを暗示しているかのようである。
・4.ダム技術者の人間性 ・
吉村昭の『・高熱隧道・』(新潮社文庫・昭和50年)は、昭和15年11月完工
の黒部第三発電所(仙人谷ダム)建設工事の第1工区の難工事を描く。この工
区は、黒部渓谷の上流、仙人谷ダム、取水、沈砂池の建設と仙人谷から下流方
向へ阿曽木谷までの水路、軌道トンネル全 904mの掘鑿工事である。このトン
ネル全 904mの掘鑿に2年4ケ月かかっている。岩盤温度65℃から掘削の進行
に伴って 165℃まで上昇する。火薬取締法の規定では40℃が限界となっている
にもかかわらず掘り進む。死と背中合わせの自然と人間との壮絶な闘いである
。
関西電力・が社運をかけた黒部川第四発電所(黒四ダム)の建設に関する木
本正次の『・黒部の太陽・』(講談社・昭和42年・信濃毎日新聞社 (文庫版)
・平成4年)は、昭和31年の着工準備から昭和33年までの大町トンネルの破砕
突破までを描く。登場人物はすべて実名で書かれており、迫力があり、人間性
が率直ににじみ出ている。この小説は昭和43年熊谷啓監督によって同名『・黒
部の太陽・』(三船プロ、石原プロ=日活)で、映画化され、三船敏郎と石原
裕次郎が主演した。
さらに、この映画の誕生については、熊井啓著『・黒部の太陽ーミフネと裕
次郎・』(新潮社・平成17年)が最近出版された。
曽野綾子の『・無名碑・』(講談社・昭和44年)は田子倉ダムの技師三雲竜
起を主人公として、娘を亡くし、妻の狂気に悩み、過酷な自然と闘いライフラ
インの建設に立ち向かう土木技師の誠実な孤独に生きる男の姿を描いた。さら
に、曽野綾子は『・湖水誕生上・下・』(中央公論社・昭和60年)で、信濃川
水系高瀬川、長野県大町市大字平地先における高瀬ダムの建設をダム技師たち
を通して描いている。親子の愛。老夫婦の愛、若者たちの恋、そしてダム造り
への愛と、様々な愛が交錯し、ダム建設は進捗していく。ダム造りは技術者た
ちの熱意と能力だけでなく、その家族たちの愛の力も含まれる。
・5.ダム建設への対峙・
水力発電会社と慣行流木権を有する木材会社との争いが、庄川における小牧
ダム(富山県庄川町)の建設過程でおこった。いわゆる「庄川流木事件」(庄
川ダム争議)である。
高見順の『・流木・』(竹村書店・昭和12年)は、この事件の中心人物平野
増吉に取材し、なおかつ岐阜県郡上郡の地を歩いて書かれている。同様に庄川
流木事件を題材としてフィクション形式で小説化した山田和の『・瀑流・』(
文藝春秋・平成14年)は、柳瀬征一郎を主人公として、旅館の女将大沢由紀江
との清く激しい恋に悩みながら、木材会社社員の立場から電力会社と木材会社
との8年間の抗争事件を詳細に追っている。
なお、小牧ダムは、折からの経済不況、関東大震災、流木事件などに遭遇し
、また資金の調達の困難を乗り越えて昭和5年に完成した。
昭和28年6月筑後川に大水害がおこった。建設省(現国土交通省)は水害を
防ぐために筑後川上流に下筌ダム、松原ダムを施工した。このダムの水没者の
一人室原知幸は、昭和32年から昭和45年の13年間、ダム建設における公共事業
の是非を問い続け、公権と私権に係る法的論争を挑み、国家に真向から対峙し
た。室原知幸を主人公とした佐木隆三の『・大将とわたし・』(講談社・昭和
51年)、松下竜一の『・砦に拠る・』(筑摩書房・昭和52年)の作品がある。
『・砦に拠る・』では、室原は下筌ダム地点に「蜂の巣城」の砦を築き、土地
収用法に基づく行政代執行に立ち向かい、公務執行妨害で逮捕されても、なお
、数々の法的論争を続ける。室原は和解工作を図る熊本県知事や建設大臣橋本
登美三郎とも合うことを拒否する。この小説は、室原とダム所長野島虎治との
確執を軸にすえ、室原の人間性を丹念に追求し、あるときは夫婦愛、親子の愛
が伝わって、読みながら涙を禁じえなかった。昭和45年6月室原の死によって
遺族との間に和解が成立し、補償契約の調印がなされた。両ダムの完成後、筑
後川流域には昭和28年6月のような大水害は起こっていない。
・6.ダム建設の社会的批判・
架空のダムを設定した、大江賢次の『・ダム食虫・』(東邦出版社・昭和49
年)は、なまず川に坊主ダムが建設されることとなり、牧歌的な平家谷村に突
如として、代議士、県会議員、外国の商社マンが現れ、地元住民を含めダム建
設の利益にあずかろうとする、その攻防を風刺的に描いている。
石川達三の『・金環蝕・』(新潮社・昭和41年)は、九頭竜ダム建設工事の
発注をめぐって、政界、官界、財界におけるカネの動きを内面的に捉えている
。この工事発注についてローア・リミットが採用された。ローア・ミリットと
は「業者の不当に低い金額による受注の結果、契約の内容に適合した工事が為
されないことを防止する目的で、制限価格ローア・リミットを設け、これを下
回る見積もりは技術審査に合格したものであっても、無条件で失格する」とい
う取り決めによって、最も高い見積額の受注が成功した。
この小説は山本薩夫監督が仲代達矢、三國連太郎、宇野重吉、京マチ子等の
演ずる同名『・金環蝕・』(大映・昭和50年)として映画化した。
その他に、緒方克行の『・権力の陰謀・』(現代史出版会・昭和51年)、安
部公房の『・石の眼・』(新潮社・昭和50年)の作品がある。
・7.ダム技術者と女性との愛・
奥只見ダムやタイのダム現場を背景とした芝木好子の『・女の橋・』(新潮
社・昭和48年)は、芸者由利子とダム電気技師篠原俊夫との愛の逡巡を描く。
由利子は篠原との逢瀬を楽しんでいたが、落雷でダムにトラブルが生じ、篠原
はダム現場に去っていく。半年後由利子が篠原と結婚を真剣に考えたときに篠
原はタイの奥地のダム現場へ赴任。だが、篠原がダム現場で負傷すると由利子
はタイへ飛び熱心に看護、意識が戻ったとき、由利子は芸者を止めて、結婚を
決意する。ようやくダムが二人の仲をとりもった。
ダム技術者と人妻との愛のストーリーである。井上靖の『・満ちてくる潮・
』(新潮社・昭和31年)は、ダム設計技師青年紺野二一郎と瓜生苑子との愛と
その破局を描く。苑子は天龍川のダム現場にて紺野に愛を告白するが、紺野は
その愛を拒否する。ダムは川の流れを変えることはできたが、紺野は苑子の人
生の流れを変えることはできなかった。紺野と別れた苑子は睡眠薬を飲んで自
殺を図るが助かる。その病床に夫の瓜生安彦の心配そうな姿があった。
同様に、人妻との愛の破局を描いた三島由起夫の『・沈める瀧・』(中央公
論社・昭和30年)は、頭脳明晰な青年ダム技師城所昇が、多摩川のほとりで出
会った石のように冷たい顕子に魅せられていく。城所はその愛を確かめるため
に雪深い山奥のダム現場の越冬隊員の一員になる。雪がとけ、顕子がダム現場
まで城所を追ってくるが、やがてその愛は破局を迎える。非道徳的な愛を怜悧
な流麗な文章で綴る。仮面的な作家といわれるが、三島由起夫のダム現場の視
点は確かなものがあり、ダム現場における文学的な表現には一瞬といえども、
爽やかな酔心を覚えた。
(会員:水・河川・湖沼関係文献研究会)









